大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(オ)1733号 判決

上告人

丹野端人

右訴訟代理人弁護士

佐々木健次

被上告人

八島よし子

右訴訟代理人弁護士

村上敏郎

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は、被上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐々木健次の上告理由について

一原審が適法に確定した事実は、次のとおりである。

(一)  訴外八島勝郎(以下「勝郎」という。)は、昭和五七年二月二日、訴外堀江弘一(以下「堀江」という。)から二〇〇万円の融資を依頼されたが、堀江に対し、さきに勝郎が堀江に貸し付け、未回収となっていた貸金債権六〇〇万円に金利を加え、これに依頼された新規の融資分二〇〇万円を加えた八五〇万円について、改めて堀江が借用証書を書き換え、上告人の父である丹野保雄(以下「保雄」という。)がそれに連帯保証人として署名捺印することを求めた。そこで、堀江は、上告人に対し、短期間内に自己の責任で債務全額の処理をすることを誓って、借用証書に連帯保証人としての保雄の名による署名捺印を依頼した。

(二)  上告人は、前同日、保雄から代理権を授与されていなかったにもかかわらず、その了解を得ずに堀江の依頼に応じ、貸金額八五〇万円、借主堀江、弁済期昭和五七年四月二〇日、遅延損害金年三割、公正証書を作成すべきこと等を内容とする借用証書に連帯保証人として保雄の名を記載し、預かっていた同人の実印を押捺し、同人が右貸金債務について連帯保証をする旨の契約(以下「本件連帯保証契約」という。)を締結した。

(三)  被上告人は、昭和五七年五月一一日、勝郎から、堀江に対する前記八五〇万円の貸金債権の譲渡を受けた。

(四)  保雄は、昭和六二年四月二〇日に死亡し、同人の妻の訴外丹野さた(以下「さた」という。)及び上告人が、保雄の権利義務を各二分の一の割合で相続により承継した。

二原審は、右事実関係の下において、無権代理人が単独で本人を相続した場合に限らず、無権代理人と他の者とが共同で本人を相続した場合であっても、その無権代理人が承継すべき被相続人(本人)の法的地位の限度では、本人自らしたのと同様の効果が生じるとした上、本件においては、さたと無権代理人たる上告人とが、金銭債務について、本件連帯保証契約の当事者たる本人の地位を各二分の一の割合により相続承継し、この地位は既に確定的なものとなっているのであるから、無権代理人たる上告人が相続により本人たる保雄の地位を承継した分について、本人自らが本件連帯保証契約をしたのと同様の効果が生じ、上告人がその連帯保証責任を負うべきであり、上告人は、被上告人に対し、保雄の連帯保証のうち上告人が相続承継した二分の一に相当する部分、すなわち、被上告人の請求額の二分の一の四二五万円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和五七年四月二一日から完済まで約定の年三割の割合による遅延損害金の支払をすべきことを命じた。

三しかし、原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。

すなわち、無権代理人が本人を他の相続人と共に共同相続した場合において、無権代理行為を追認する権利は、その性質上相続人全員に不可分的に帰属するところ、無権代理行為の追認は、本人に対して効力を生じていなかった法律行為を本人に対する関係において有効なものにするという効果を生じさせるものであるから、共同相続人全員が共同してこれを行使しない限り、無権代理行為が有効となるものではないと解すべきである。そうすると、他の共同相続人全員が無権代理行為の追認をしている場合に無権代理人が追認を拒絶することは信義則上許されないとしても、他の共同相続人全員の追認がない限り、無権代理行為は、無権代理人の相続分に相当する部分においても、当然に有効となるものではない。そして、以上のことは、無権代理行為が金銭債務の連帯保証契約についてされた場合においても同様である。

これを本件についてみるに、前記の事実関係によれば、上告人は、保雄の無権代理人として本件連帯保証契約を締結し、保雄の死亡に伴い、さたと共に保雄の権利義務を各二分の一の割合で共同相続したものであるが、右無権代理行為の追認があった事実について被上告人の主張立証のない本件においては、上告人の二分の一の相続分に相当する部分においても本件連帯保証契約が有効になったものということはできない。

四そうすると、以上判示したところと異なる見解に立って、被上告人の上告人に対する請求を前記のとおり一部認容した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるものといわざるを得ず、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は、理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決中の上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、右説示に徴すれば、被上告人の請求は棄却すべきものであり、これと結論を同じくする第一審判決は正当であり、被上告人の右部分に対する控訴は理由がなくこれを棄却すべきものである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官三好達の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官三好達の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、原判決を維持し、上告人の上告を棄却すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。

一  無権代理人が本人を単独相続した場合においては、本人が自ら法律行為をしたのと同様な法律上の地位を生じたものと解するのが相当であるとされている(最高裁昭和三九年(オ)第一二六七号同四〇年六月一八日第二小法廷判決・民集一九巻四号九八六頁)。これは、大審院以来裁判実務が一貫して採用し、また理論付けにおいて異なるところがあるにしても、その結論は、学説の大方の支持も得てきていたところである。しかし、本来追認という行為によってのみ有効となるべき無権代理行為につき、本人の死亡により開始した相続の効果だけから、本人又は相続人による何らの行為なくして、これを有効なものとするのには、理論的に困難な点があることは否定できないのであって、この結論を導く理論付けについて判例、学説等が必ずしも一致していないのもその故である。それにもかかわらず、そのような法理が採られてきている根底にあるものは、自ら無権代理行為をした者が本人を相続した場合に、本人の資格において追認を拒み、その行為の効果が自己に帰属するのを回避するのは、身勝手に過ぎるという素朴な衡平感覚であるといえよう。してみれば、右法理は、次のように理論付けるのが相当である。すなわち、本人を相続した無権代理人が、自らした無権代理行為につき、相手方からその行為の効果を主張された場合に、本人を保護するために設けられた追認拒絶権を本人の資格において行使して、追認を拒むことは、信義則に違背し、許されないといわなければならず、このように無権代理人において追認を拒み得ない以上、相手方は、追認の事実を主張立証することなくして、無権代理人たる相続人に対しその行為の効果を主張することができることとなり、結局相続人は、本人が自ら法律行為をしたのと同様な法律上の地位におかれる結果となる(最高裁昭和三五年(オ)第三号同三七年四月二〇日第二小法廷判決・民集一六巻四号九五五頁参照)。

二  これまで、この法理が採られてきたのは、本人の相続人が無権代理人のみである場合、あるいは無権代理人が共同相続人の一人であるが、他の共同相続人の相続放棄により単独で本人を相続した場合についてであるが、無権代理人が他の相続人と共に共同相続をした場合においても、相手方から、その相続分に相当する限度において、無権代理行為の効果を主張されたときには、同様に考えるのが相当である。けだし、その行為の効果が自己に帰属するのを回避するため、その追認を拒むことが信義則に違背することは、唯一の相続人であったときと同様であるのみならず、他の共同相続人が追認しておらず、又は拒絶した事実を自己の利益のために主張することもまた、自ら無権代理行為をした者としては、同じく信義則に違背するものとして、許されないというべきであるからである。そうしてみると、無権代理人は、相手方から、自己の相続分に相当する限度において、その行為の効果を主張された場合には、共同相続人全員の追認がないことを主張して、その効果を否定することは信義則上許されず、このように無権代理人において追認がないことを主張し得ない以上、相手方は、追認の事実を主張立証することなくして、無権代理人たる相続人に対して、その相続分に相当する限度において、その行為の効果を主張することができることとなり、無権代理人たる相続人は、右の限度において本人が自ら法律行為をしたと同様な法律上の地位におかれる結果となるというべきである。

多数意見は、無権代理人が本人を他の相続人と共に共同相続した場合は、共同相続人全員において追認をしなければ、無権代理行為が有効となることはないとするが、この点は私も肯認するところである。私の意見も、共同相続人全員の追認がない場合に、無権代理行為それ自体が、たとえ無権代理人の相続分に相当する限度においても、当然に有効となるとするものではなく、ただ、信義則適用の効果として、相手方は、右の限度においては、追認の事実を主張立証することなくして、無権代理人たる相続人に対しその行為の効果を主張することができることとなるというのである。

三  付言するに、私の意見は、二に述べたように、無権代理行為それ自体がその相続分に相当する限度において有効となると説くものではない。したがって、これを有効とすることに伴う難点が生ずることはなく、それを理由とする批判は当たらないといえる。すなわち、部分的に有効とすることに伴う難点は、部分的有効は相手方に不利益をもたらし、かえってその保護に欠けるというものであるが、私の意見は、無権代理人が相手方からその相続分に相当する限度で無権代理行為の効果を主張された場合には、追認がないことを理由として、これを否定することはできないとするものであるにすぎないから、相手方において、民法一一五条の取消権を行使し、あるいは同法一一七条により無権代理人の責任を追及するという法的手段を採ることを妨げるものでないことはいうまでもなく、相手方に対し何ら不利益をもたらすことはないのである。

なお、このように、相続分に相当する限度において、相手方に対して無権代理行為の効果を否定することができないとすることは、特定物の取引行為等に関しては、相手方と他の相続人その他関係人との法律関係を複雑にするとの批判があり得よう。しかし、相手方は、右の限度での無権代理行為の効果を主張した以上、たとえその結果複雑な法律関係を生じても、それは自らの選択によるものといわなければならないし、他の相続人その他当該特定物に法律関係を有する者に及ぼす影響としては、共同相続人の一人が、相続財産たる物件につき、自己の相続分と共に、他の共同相続人の相続分についてもその無権代理人として、他と取引をした場合、あるいは当該物件につきその相続分の限度において他と取引をした場合に生ずる法律関係の複雑さと径庭はないといえるから、他の相続人その他においては、これを甘受せざるを得ないというべきである。

(裁判長裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官味村治 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)

上告代理人佐々木健次の上告理由

原判決は、一審判決を一部変更し、上告人丹野端人に本件借用証(八五〇万円)につき半分の責任を課した。しかしながら、原判決には、理由不備、理由齟齬の違法があり、かつ判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある。

第一 原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

A(採証法則の違背)

一 原判決は、左示事実を認定し、これを裏付ける書証として甲乙各号証を掲記するが、左記事実は大体のところ実質上の被上告人である八島勝郎の陳述を信用したものである。即ち、

1 昭和五七年二月二日以前、訴外丹野保雄は、被控訴人(上告人)丹野端人に対し、山林売買の交渉及び締結に同意を与えた外、買受人側の資金都合により三か月未満の短期決済を目途に二〇〇万円の銀行融資を受けるについてその保証を与え、これらの件について端人が保雄の名により代理して契約を結ぶ権限をも任せた。

2 二月二日、丹野栄子方において、八島勝郎は端人や栄子、栄子の夫丹野仁らを前にして、堀江弘一が八島勝郎から借用することになる八五〇万円につき、保雄が連帯保証人として署名、押印することを求め、その条件が満たされなければ融資に応じない態度を示し、堀江から頼まれた端人は、これに応じ、その場で貸金八五〇万円、弁済期四月二〇日遅延損害金三割、公正証書を作成すべきこと等を内容とする〈書証番号略〉、〈書証番号略〉に保雄の住所氏名を押印し、保雄の実印を押捺した。

3 〈書証番号略〉には、端人署名時八五〇万円と金額が記入してあった。後に補充したものではない。

4 端人は、公正証書作成を嘱託するものとし、委任状(〈書証番号略〉)を完成し、八島勝郎に交付した。

5 その場で(二月二日)、〈書証番号略〉や〈書証番号略〉が作成され、その取り交わしが済んだので、八島勝郎から堀江に対し、二〇〇万円が交付された。

6 要するに、本件借用証は端人の無権代理行為によって作成されたものである。

二 しかしながら、右認定は八島勝郎の陳述にあまりに偏し、被控訴人保雄らの陳述に耳を閉すものであり、採証法則に著しく違背するものである。けだし、

1 保雄の本人調書、端人の各証人調書(承継後は本人調書)等によっても、保雄が、端人に対し、山林の買受人が二〇〇万円の銀行融資を受けるについて自ら保証人となることの権限を与えていたことは全くない。保雄はあくまで、山林売買の交渉を端人に任せていただけであり、銀行保証二〇〇万円云々の件はあくまで事後承諾にすぎないのである。

2 次に、原判決は、二月二日、山林売買の席で、端人が堀江に頼まれて八五〇万円、遅延損害金年三割等の保証を無権代理としてなした旨判示するが、八島勝郎の原審での証言とも一致しない。

八島勝郎の証言は一月末頃には端人や栄子に対し八五〇万円の本件保証につき保証人になって欲しい旨の話をしていて、了解をとっており、二月二日、改めて端人から保雄だと思って署名してもらった。栄子からも保証なる旨の了解をとっていたが地主の保雄から保証をとれれば十分だと思って、栄子については保証人の責任をいわば解除した、等というのである。八島の言い分によっても、八島は二月二日の売買契約の席上保証の話を切り出した訳ではなく、他方、二月二日、栄子の保証責任を解除したといっているのである。

又、八島勝郎は栄子の保証責任を二月二日解除したといっているが宮城県に名だたる高利貸の行動としてとうてい信用できない。なぜなら、保証人は多ければ多いほど貸付金の確実な回収を図れる訳で、これを放棄することは考えられないし、栄子とて地主の一人であることは変りないのである。八島の弁解は二月二日山の地主(保雄、栄子)から保証の了解をとったとしたら、なぜ栄子も一緒に保証人としなかったのか、という素朴な疑問に答えることができなかったため、苦しまぎれの弁解をしたものと思われる。この事は二月二日、端人が本件の保証をしたものでないことを雄弁に裏付ける。

そもそも、原判決の認定だと、端人は山林の売買代金を超え、又保雄方の農漁業その実年収をはるか超える八五〇万円(しかも、年三割の損害金)の保証したことになるが、端人らにそうする必要性も、利益も全くないものであった。本件売買の話が出てくるまで堀江は見ず知らずの赤の他人であったのであり、このような堀江に八五〇万円(損害金年三割)もの保証人になり、かつ公正証書を作成することまで了解することなど、一時的にせよ、常識的にみても、全く考えられない。又、この事は端人や栄子も明確に否定するところである。原判決はあまりに常識に反するというべきである。

3 次に、原判決は〈書証番号略〉の八五〇万円の金額が入っていたとし、その理由として〈書証番号略〉がコピーである旨を指摘する。しかしながら、端人を堀江や八島が籠落(二月三日のできごとであったことについては、昭和五八年五月一二日付準備書面第二参照)した後、署名させた〈書証番号略〉に金額を書き込み、それをコピーすればつじ妻が合うのであり、この点は何ら証拠となるものではない。又、堀江と八島は住民票を同じくしたこともある間柄であるうえ、(〈書証番号略〉)、堀江は宮城県、山形県で種々問題を起し(〈書証番号略〉)東京に逃げ帰った人物である。かつ八島は宮城県で名だたる高利貸であり、弁護士も欺しにかかる位の人物である(昭和五八年五月一二日付準備書面第三、五ご参照)。これら堀江、八島が端人を籠落する(例えば、金額を入れず、後で堀江が二〇〇万円と入れる等の説明をする。)ことなど赤子の手をひねるようなものであったことと思われる。

4 次に、八五〇万円の話が出て、それに端人が応じ、二月二日、その場で端人が〈書証番号略〉に署名したとしたら、これらの事実の一片たりとて上告人側本人や証人の陳述にあらわれないということは全く考えられない。端人、妻貞子、栄子、夫仁らはいずれも松島という田舎の純朴無知な人々である。これらの人々が一、二審を通し、反対尋問及び裁判所の補充尋問に曝されながら、一致して右保証の事実を隠し通せる等ということは全く考えられないことである。もし、原判決の認定するように二月二日端人が堀江の頼みに応じて保証人となり、〈書証番号略〉に署名したとすれば、丹野栄子や仁の尋問の中にそれを窺わせる一片でも出てきて当然である。栄子や仁、そして端人や貞子の調書を精査してもそれは全く出てこない。

この事は、本件は端人の署名、押印をもらった後堀江が保雄との関係では二〇〇万円を入れるところを八五〇万円と入れたものであることを優に裏付ける。

5 委任状(〈書証番号略〉)についても、二月二日、端人が八島勝郎に交付したとするならば、その事実の一片位端人、貞子、栄子、仁らの調に出てきてもいい筈である。全く出てきていないものはその不存在を裏付ける。各書証の「二月二日」という日付(〈書証番号略〉の領収書も同じ)等後でいくらでも記入できるものであり、日付自体は、二月二日に委任状が端人から八島に交付されたことを何ら証明するものではない。

6 又、委任事項についても、端人はあくまで白紙であったとの記憶であり、この陳述は一貫性があり十分信用できる。被上告人は〈書証番号略〉が署名時、委任事項がコピーされていたものであることを強調するが、その証明はない。名だたるプロであれば機器を利用し、白紙に委任事項を模写することは容易である。現実に印鑑や筆跡の模写事件は起きている。

万一、仮に署名時委任事項があったとしても、二月三日の堀江の話(北日本相互銀行から二〇〇万円借りる)を頭から信用してよくよく確認しなかったものである。端人が白紙に署名した記憶しかない旨強調するのは、裏返せば、堀江の北日本相互銀行から二〇〇万円借りるという話を頭から信用し中身を殆ど見なかったことの証左である。けだし、書類の中身をよく見なかったから、中身の記憶が残らず、この事が白紙に署名したといわせていると考えられるからである。

この事は〈書証番号略〉における公正証書作成条項についても全くあてはまる。

7 又、二月二日八島から保証の話が出て、〈書証番号略〉の取り交しが済み、その後で八島から二〇〇万円が出されたとすれば、この事実が同じく端人、栄子、仁らの陳述に現われない筈もないのである。これらが全く出ていないことは原判決判示の事実の不存在を裏付ける。端人や栄子ら上告人側の一致した二月二日の状況はあくまで八島は世間話は別として本件係争にかかる保証の話は一切せず、堀江の会社の従業員ではないかと考えていたということである。との状況再現の陳述は迫真性に富み十二分に信用できる。

三 以上、端人が本件につき保雄の無権代理として八五〇万円の保証した、公正証書作成嘱託をしたということは証拠上とうてい認定できないというべきである。

したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな採証法則の違背が認められるというべきである。

四 なお、本件は名だたる高利貸と純朴な田舎人との争いであり、本件保証による利益は上げて八島、堀江側にあるのであって、このような本件に当っては、端人や栄子らの心の底からの訴えに耳を傾けなければ、事案の把握を誤まり、事件屋の如き堀江や名だたる高利貸八島に不当な利益を供与するおそれが大であることを付言する。

五 又、八島勝郎は被上告人に債権譲渡をしているが、あくまでこれは法律を中途半端に知っている者が「善意の第三者」を作出しようとする意図の下になしたと考えるのが素直である。もし、八島が端人を保雄の代理人だと信じ、かつ金額の入った〈書証番号略〉を取得したのだとするならば、右の如き工作をする必要性は全くないのである。この事は八島自身端人を欺した事を十分認識していた事を裏付ける。

B(判例違反)

仮に百歩を譲り、丹野端人が本件貸借につき、八島に対し保雄の無権代理行為をしたとしても、原判決の判示のように、端人につき借用金八五〇万円につき自ら保証したと同様の効果が生ずることはない。

第一点

一 まず、無権代理人の地位と本人的地位が同一人に帰属した場合に関する大審院及び最高裁判例は左記の如きものがあり、無権代理人が本人を相続した本件に直接参考になる判例は①の判例及び①判例の先例となった②判例である。

①最判昭和四〇年六月一八日判決(民集第一九巻九八六頁)

②大判昭和二年三月二二日判決(民集第六巻一〇六頁)

③最判昭和三七年四月二〇日判決(民集第一六巻九五五頁)

本人が無権代理人を相続した場合の事例

④最判昭和四八年七月三日判決(民集第二七巻七五一頁)

本人が無権代理人を相続した場合の事例

⑤最判昭和四一年四月二六日判決(民集第二〇巻八二六頁)

無権代理人が目的不動産の所有権を取得した場合の事例

⑥最判昭和四七年二月一八日判決(民集第二六巻四六頁)

後見人らしくふるまって未成年の不動産を処分した者が後見人に就任した場合の事例

二 一般に、最高裁判所判例は、無権代理人が本人を相続した場合、無権代理行為は有効となると考えていると紹介される。しかしながら、最高裁判例はあくまで具体的事案との係わりで展開されているのであって、具体的事案の検討を抜きにして抽象的に判例の結論だけを一人歩きさせることはできない。右一、以下に述べるように①〜⑥の最高裁判例を具体的事案とのかかわりのなかで総合的に検討するならば、最高裁判例は、無権代理人の地位と本人の地位が同一人に帰属した場合、無権代理人が本人としての責任(本件では公正証書が本人自らの嘱託により作成されたと同様の効果発生を甘受すること)を負うのは、あくまで無権代理人の相手方が善意であり、無過失である場合のみであると考えている。よって、これと異なる原判決(判決の結論に明らかに影響を及ぼすから)は判例違反として破棄を免れない。

以下、右判例を検討する。

三 まず、①の判例は、②の判例を引用しながら、無権代理人が本人を相続し本人と代理人との資格が同一人に帰するに至った場合は、本人が自ら法律行為をしたのと同様な法律上の地位を生じたものと解するのが相当であり、この理は、無権代理人が本人の共同相続人の一人であって他の相続人の相続放棄により単独で本人を相続した場合においても妥当すると解すべきである、とする。

しかしながら、重要なことは、①判例が引用し、先例とした②判例(左記判決文ご参照)が、無権代理人が民法一一七条一項の責任を負うことを前提とし、相手方が無権代理行為につき善意無過失であった場合に本人を相続した無権代理人は、本人自ら法律行為をなしたのと同様の地位を生ずるものと考えていることは、判決文(左記ご参照)から明白である。とすれば、②判例を先例とする①判例も、結論的な文言はともかく、実質上同趣旨であると考える(①②判例の事案の類似性もこの趣旨を裏付ける)。

とすれば、本件の如く無権代理人(端人)が一一七条の責任を負わないと考えられる事案(八島勝郎が無権代理行為につき悪意ないし有過失であったことは明らか)では、最高裁判例理論に照し、本件借用証につき端人が責任を負うことはない(なお、③〜⑥の判例理論も、①②判例と同趣旨であり、この結論を裏付けることについては四以下ご参照)。

次に①判例の先例となった②判決の要旨を掲げる。

前掲貸借又ハ貸越並抵当権設定契約ハ正治ノ為シタル無権代理行為ナルニ依リ本人タル源太郎ノ追認ナキ限リ同人ニ対シ其ノ効力ナク而シテ正治ハ本人源太郎ノ相続人トシテ之カ追認ヲ為シ得ヘキモ其ノ追認ヲ為ササル限ハ無権代理人トシテ民法第百十七条第一項所定ノ責任ヲ負担スヘキニ止マリ相続ニ因リ前記無権代理行為カ当然追認セラレタルモノト為ル事ナシトノ説ナキニ非サルヘシト雖前記ノ如ク無権代理人カ本人ヲ相続シ本人ト代理人トノ資格カ同一人ニ帰スルニ至リタル以上本人カ自ラ法律行為ヲ為シタルト同様ノ法律上ノ地位ヲ生シタルモノト解スルヲ相当トス恰モ権利ヲ処分シタル者カ実際其ノ目的タル権利ヲ有セサル場合ト雖其ノ後相続其ノ他ニ因リ該処分ニ係ル権利ヲ取得シ処分者タル地位ト権利者タル地位トカ同一人ニ帰スルニ至リタル場合ニ於テ該処分行為カ完全ナル効力ヲ生スルモノト認メサルヘカラサルト同様ナリト謂フヘク之ニ反シ単ニ無権代理行為ナリトノ理由ニ基キ叙上ノ如ク無権代理人カ本人ヲ相続シタル場合ト雖同人ハ其ノ本人タル資格ニ基キ追認ヲ拒絶シ得ヘク従テ又無権代理人タル資格ニ於テ損害賠償ノ責ニ任スルコトヲ得ヘシト謂フカ如キハ徒ニ相手方ヲ不利益ナル地位ニ陥ルル結果ヲ生スルコトヲ免レ難ク其ノ許スヘカラサルコト言ヲ竢タザル所ニシテ此ノ如キハ民法第百十七条第一項ノ辞句ニ拘泥シ同条項ヲ正解シタルモノト謂フヘカラサルカ故ニ・・・・・と判旨する。

四 無権代理人が本人を相続した場合以外の右③〜⑥の判例も、判決文を子細に検討すれば、無権代理人が民法一一七条の責任を負わざるをえないような場合ないしこれに準ずる場合、見方を換えれば、無権代理人の行為につき相手方が善意無過失ないしこれに準ずる場合のみ、無権代理人の行為の責任を本人その外の者に負わせているのである。

以上の判例理論は事案の具体的妥当性を図るものとして学説の展開にも概一致するものと考える(四宮和夫「民法総則(第三版)」二六三頁以下・我妻栄、新訂民法総則三七六頁、〈無権代理人が本人を相続した場合に関する我妻説は、無権代理人が民法一一七条の責任を負う事を前提としていることに留意しなければならない〉・高野竹三郎「本人が無権代理人を相続した場合の法律関係」民法の判例第三版四三頁等)。

五 ところで、判例の具体的事実関係を検討すれば、無権代理人が民法一一七条の責任を負うと考えられる事案では、無権代理人による積極的かつ能動的行為や金銭受領行為が認められるのである。

例えば、

(一)①の判例では、

1 無権代理人(子)が本人(父)の印鑑を勝手に持ち出し、本人の土地を勝手に担保に入れ、本人名義の金融を受けた。

2 無権代理人は、債務の借り替え(とだまされた)の際、本人に勝手に本人の委任状を作成し、勝手に印鑑証明をとっている。

3 土地代金が無権代理人に渡っている。

②の判例では、

1 無権代理人(子)が勝手に本人(父)名義の借用証、抵当権設定契約書、委任状を複数回偽造した。

2 右借用証にかかる金銭が銀行等から無権代理人に渡っている。

⑤の判例では、

1 無権代理人と本人は親子で不動産処分につき諸々の話合がなされていた。

2 売買代金の大部分が無権代理人に渡っている。

⑥の判例では、

1 無権代理人は後見人就任前でも能動的に本人の後見役を果していた。

2 建物代金の大部分が無権代理人に渡されている(本人にも保護育成のため使われたと思われる)。

(二) しかし、本件では、丹野端人に無権代理行為をするにつき積極的・能動的な行為はまったくないのみならず(委任状は八島勝郎が用意したものであるし、印鑑証明も山林売買の為必要であるとの理解であった)、もちろん無権代理行為の結果たる金員を受領したこともない。しかも、本件で無権代理行為の結果得る所は本人、無権代理人とも全くない。他方、八島勝郎は住所も同じくしたことのある堀江と意を通じて丹野端人を籠落せしめたものであり、本件保証行為による利益は八島、堀江のみに存する。

(三) この様な本件具体的事案に照らせば、①〜⑥(特に①②)判例の具体的事実関係との対比においても、丹野端人に関し、本件借用証が有効となることはないと信じて疑わない(最高裁判決の射程距離)。

(四) ところで、原判決は、端人が本人自ら行為をしたのと同様の効果を受けるに、無権代理人の行為について相手方が善意、無過失であることを必要とすべき合理的理由はないとし、この理由として承継した限度において行為時にいわば「本人」として行為したとみられるべきことから生ずる法的効果であることを指摘する。

しかしながら、いうまでもなく「本人」と「無権代理人」はあくまで別個の人格であり、別個の人格の各々の責任が相続を契機として法的に同一視されるには、本件でいえば、あくまで相手方との関係で、相手方を保護する強い必要性(善意、無過失)がある場合に限られるべきである。本人(保雄)が死亡しなければ、八島は、本人は勿論、無権代理人(端人)に対しても民法一一七条二項の責任を追及できなかったのであり(その場合、自業自得として本件関係者の具体的妥当性が図れた)、たまたま保雄が死亡したことのみをもって(奇貨といってもいいだろう)、自分の悪意や過失を棚に上げて有権代理と全く同様の効果を享受できるとするのはあまりにも合理性を欠く見解である(それでは「笑う悪意者、有過失者」となってしまう)。原判決は相続問題は表見代理と異なる旨指摘するが、本人と別個の人格である無権代理人が行った行為を「本人として行為したとみられるべき」か否かは正に価値判断、政策判断なのであり、論理的な問題では決してない。「相続」を理由として、保護する必要の全くない相手方まで保護する合理性はないというべきである(相続領域でも、「笑う相続人」なる相続人の権利については、他の相続人の寄与分を多く認めるなどして制限しているのが実務の現在の大勢であることを想起すべきである)。

第二点

仮に右主張が理由ないとしても、最高裁判例は、無権代理人の行為について本人自らが行為したと同様の効果が生ずるためには、無権代理人が単独で本人を相続した場合のみを考えている(①②の判例も事案は一人)。これは八島の如き「笑う悪意者、有過失者」を排斥するにもぜひ必要なことである。

よって、最高裁判例に反する原判決は結論に明らかな影響を及ぼすから破棄を免れない。

なお、原判決は、相続人が複数であっても、その無権代理人分のみが有効になるから不利益はない旨指摘する。しかし、本件でいえばあくまで相続人は六名いたのであり、放棄した四名は「本人」の財産が細分化されたり、散逸されないため、これを願ってなしたのである。原判決の解釈では端人のみならず放棄した四名及び承継人丹野さたの真意にも反するのみならず、その期待権、潜在的利益も著しく害するものでとりえない。

第三点

万一、最高裁判例が右の解釈を採らないとした場合、最高裁判例は民法一一三条、一一七条、八九六条、憲法一三条等の真意に照し、合理性を有する範囲(悪意、有過失者を保護しない)で変更されるべきである。

原判決はあるべき最高裁判例に違背し、結論に明らかな影響を及ぼすから破棄を免れない。

第二 原判決には理由不備ないし理由齟齬の違法がある。

一 原判決には第一、採証法則の違背の項で述べた違背がある以上、結局のところ原判決の理由には齟齬があり、ひいては理由を付さないことに帰着する。

二 又、原判決は、本件公正証書の八五〇万円につき、八島勝郎が堀江に従前貸与していた六五〇万円の貸金に二〇〇万円を貸し増して八五〇万円になった旨認定するが、〈書証番号略〉(当初の六〇〇万円につき、保証人今野太熊から担保にとっていた山林の登記簿謄本)甲区一八番、乙区八番によれば、貸主はあくまで株式会社角田土地開発であり、それがなぜ八島の債権となったのかの確たる証拠は何らないというべきである。結局、原判決は理由を付せずして右八五〇万円の債権者を八島勝郎と認定したことに帰着する(なお、今野太熊の証人調書ご参照)。

第三 結語

よって、原判決は民事訴訟法三九四条、三九五条により破棄を免れないものと信ずる。

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